本 book 2004 7 20

 本との出会いが、人間の一生を変えてしまうことがあります。
私の場合も、そうでした。
 あの時は、中学2年生の春休みのことです。
叔父から、「一人で遊びに来なさい」との電話がありました。
一人で電車に乗って、知らない土地に出かけていくのは、大いに不安でしたが、
それ以上に大きかったのは、
「何か、おもちゃを買ってくれるに違いない」、
「何か、おいしいものを食べさせてくれるに違いない」という期待でした。
 しかし、その期待は、大きく裏切られました。
叔父から渡されたものは、おもちゃではなく、2冊の本でした。
それは、「荘子」と「相対性理論入門」でした。
 帰りの電車のなかで、この2冊の本の目次を交互に読みました。
そして、少しずつ、好奇心が大きくなりました。
おもちゃとは違う「新しい楽しみ」を発見したと思いました。
同時に、ここから、人生の悩みも始まりました。
この2冊の本を読むことによって、大きな疑問が発生したのです。
 それは、「人生とは何か」、「真理とは何か」ということです。
この問題は、高校生になっても、続きました。
そして、新しい悩みによって、「人生とは何か」が変質しました。
その悩みとは、中学生から高校生になるに従って、誰でも悩むことです。
それは、異性への関心、そして、友達との人間関係です。
 その時、思ったことは、人間は、肉体の欲望に振り回されるというが、
その前に、まるで暴れ馬のような「心」に振り回されているのではないかということです。
つまり、「人生とは何か」が、「心とは何か」という問題に変質したのです。
だから、高校時代に読んだ本は、フロイトとユングの心理学の本でした。
 こうした悩みは、大学に入学するまで続き、
大学に入学してから、ある程度、安定しました。
 日本の大学は、入学する時は、難関でも、卒業は、誰でもできます。
つまり、学部の授業とは関係なく、自分でテーマを決めて、研究活動ができたのです。
大学で、学び、思索することによって、
「心とは何か」という問題は、ある程度、解決しました。
しかし、「真理とは何か」という問題は終わりません。
 ソクラテスは、「無知の知」を説きました。
「人間は、真理に対して、無知である。」
「真の知者は神のみである。」
 しかし、それでも、多くの人によって、真理の探究は続くと思います。
真理の探究は、永遠に続くでしょう。
そして、永遠に続く「真理の探究」が、人間に、永遠の生命を感じさせるのです。
「真理は、あなたたちを自由にする。」 イエスキリスト



















































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